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とある午後のトラブルシューティングに思う

 しばしばパソコンの使い方を聞かれることがあります。その多くは年輩の方で、そして、その多くは(というか、全ては)「エクセルの画面が変わった」だとか、「メールが送れない」だとか、「写真がうまく印刷出来ない」だとか、そういった非常に初歩的なものです。(どうでもいいですが、そう言う場合、だいたい「何もしてないのに」という枕詞が付きます。)

 インターネッツスキルフルな私はそれらを華麗にオーバーヘッドトラブルシュートし、かつ、そのシュート法を伝授するわけですが、しばらくすると非常に似たような問題で呼ばれることになります。たとえば、「写真を印刷すると枠からはみ出る」と言う問題に対して「適切な用紙設定をする」という方法を伝授します。しばらくすると今度は「ハガキを印刷すると枠からはみ出る」という問題が持ち込まれるわけです。

 根本的な理解が欠けている。そう感じるのです。

 場当たり的なトラブルシュートの方法ではなく、その「根本的な理解」を与えることが出来れば、こういった不毛なトラブルシュートは必要なくなります。が、しかし、私にはその「根本的な理解」が(確かに存在していると言うことは分かるけれども)具体的にどういうものなのか、うまく説明出来ません。ただ、その「根本的な理解」を習得する方法についてはただひとつだけ、思い当たるものがあります。それは「なにか問題が発生した時、時間をかけて丁寧に自分で調べ、自分で試し、自分で解決する」ということです。

 それは字の練習や楽器の練習に似ています。ペンの持ち方や書き順などを教えてもらえば、字を書くことは出来ます。しかし、それだけで綺麗な字を書くことは難しいです。弦の押さえ方を教えてもらえば、音を出すことは出来ます。しかし、綺麗な音を出すことは難しいです。綺麗な字を書けるようになるには、綺麗な音を出せるようになるには、修練が必要です。その時は分かったような気がするけど、後になると忘れているというのは、単純に経験不足・修練不足だと私は思います。

 年をとるとひとつのことにかけられる時間が少なくなるということもあるかもしれません。特にメールやオフィスはビジネスシーンで使われることが多いです。悠長にトラブルシュートを楽しんでいるヒマがありません。そして、その場しのぎのトラブルシュートに甘んじることになり、結局、そのトラブルから何も学ぶことが出来ないのです。

 しかし、また、思うのです。それはただ単に修練不足であると言うことで片付けて良いものか、と。あるいはそれは、加齢によって脳の可塑性が失われるせいなのでしょうか。自分が70、80歳になった時、私は、今把握出来ている程度に、世界を把握し続けられているのでしょうか。世界は一体、どういうふうになっているのでしょうか。たとえば、考えるだけで物をコントロール出来るようになっているなんてのは割とあり得る話です。

 テレビを見たいと思うだけでテレビが付く。風呂に入りたいと思うだけで風呂が入る。暑いとか寒いとか思うだけで、空調が動く。そんなふうになっているかもしれません。
 電気屋の店員は、これはとても便利だ、今時これを利用していないなんて有り得ないというような調子で、自分にそれを売ってくるでしょう。もちろんそれらは使いこなすことが出来ればとても便利です。でも、それを使いこなすにはある程度の習熟が必要だったりします。
 生まれたときからそれが日常の中にある孫達は、それをまるで手足のように使います。でも、自分にはそれを使うに当たってのコツがイマイチピンと来ない。「おじいちゃん、そうじゃないよ。こうするんだよ」と言いながら、孫はノーアクションでテレビを付けます。自分は、もしかしたら、孫がテレビをつけたという事にも気が付かないかもしれません。そして、何もない空間を見ながら「あ、友達からメッセージが来た」と言ってる孫に新しい時代を感じるのかもしれません。

 この素晴らしい世界は、この先、どんな素晴らしい世界になっていくのでしょうか。

What a Wonderful World

  • メーカー:Verve
  • カテゴリ:CD
  • 発売日:1996/02/27

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