このブログにはちょっと前からコメント欄がありません。ついでにトラックバックも出来ないようになっています。
キッカケはお察しの通り原発のやつなのですが、その前から「ちょっと微妙だなー」とも思っていたので、良い機会だと思ってずばっと消しちゃいました。
今回はコメント欄を消した理由をつらつらと書いてみたいと思います。
まあ、今さらという気もするのですが、今コメント欄の扱いに迷っているという人の参考にでもなれば、とも思います。
コメント欄を無くした理由
勘違いする人がいる
ここでこんな事を書くのはアレですが、ぶっちゃけ、icoro(このウェブサイト)の閲覧者は平均するとウェブに関するリテラシーが低めになっていると思います。
その原因は、
- ローカルなネタが多い
- icoroの趣味趣向が年齢層高めな人に合致する
といったところだと思います。まあ、今回は原因についてはあまり追求しません。
さて、その結果としてどういう事が起きるかというと、コメント欄をメールフォームか何かと勘違いして書き込みしてくる、という事態が発生するんですね。(というか、そもそもコメント欄とメールフォームという違う種類のものがある、と言うことを分かっているのかすらあやしい。)
そうするとコメントに個人情報出ちゃうので、あんま良くないよなぁ、と思ったり。
くわえて言うと、そういうコメントを寄せる方は、icoroをオフィシャルと勘違いしていたりするので(というか、情報を出しているところはそれに関する情報を全てを知っているものだ、と考えている節があるように感じます)、「いやそれ聞かれても分からんです」という質問をしてくることが多いです。(たとえば、佐渡汽船の現在の運航状況とか。)
まあ、それはそれでうまく扱えば良さそうにも思いますが、今のところ対応がめんどくさいだけなので、出来ればしたくないなぁ、という感じ。
内輪で盛り上がってしまうと他の人が入りにくくなる
これはまあ、そのウェブサイトなりブログなりの方針によっても違うと思います。内輪でわいわいするのが良いと言うところもあると思いますし。
ただ、icoroの場合は、あんまり内輪で盛り上がっちゃうのはどうかなぁ、という考え方です。常連にしか分からないローカルルールのようなものが存在してしまうと、たとえば、検索でたどり着いた人が居心地の悪さを感じるんじゃないかと。
知り合いだけでなく、出来るだけ多くの人にアクセスしてもらいたいので、そういった「空気読め」「半年ROMってろ」的な要素はあまりないほうが望ましいんじゃないかと思います。
あと、icoroの中の人がわりと保守的な精神の持ち主なので(Twitterのフォローも基本的に受け身)、コメント欄まで内輪ネタで固めちゃうと新しい風がまったく入ってこなくなりそうな気もするので。
Twitterあるし
これは結構大きいです。ちょっと前だと記事に対するコメントはメールをもらうか記事にコメント付けてもらうかするしかありませんでした。コメント欄が読者との貴重なコミュニケーションの場だったわけです。
でも今は、Twitterあるし。
Twitterは(コメント欄に書き込むのに比べると)ずいぶんお気軽につぶやけるので、閲覧者とコミュニケーションを取るという役割においては、コメント欄よりも有効に働いていると思います。ブログの記事以外の内容についても話が出来ますしね。馴れ合いの場であり、情報源であり、発表の場でもある、まさにコミュニケーションの場。
ただ、記事の内容について議論したい、という場合は、Twitterでは言葉足らずになりがちです。その場合はコメント欄を設置するか、他のメディアを使う必要があるかもしれません。
icoroはそもそも議論をする気がないので、Twitterでなれ合ってるくらいがちょうど良いです。
議論って、多くの場合、どちらが正しいか、みたいな展開になりがちであんま好きじゃないんですよね。どっちの言い分にもそれぞれ一理あるんじゃね? と思うので。
あと、議論する中で自分で自分の意見を補完していくことで、お互いどんどん意固地になっていくってのを感じる事ないですか? で、結局、着地点を見いだすことが出来ずに物別れのまま終わる、みたいな。でも、後で冷静に考えると、俺、別にそこまで思い入れないんだよなぁ、みたいな。
なので、基本的に議論って言うものはこそこそと避けて通っています。
境界を付けるのが難しい
完全に放置してしまうと決めてしまえば何も悩むことはありません。icoroでも以前は、明らかにスパムであるもの以外は放置、という方針をとっていました。
ただ、原発のやつのヒットを経験して、コメント欄を放置することはあまり望ましくないのではないか、と考えるようになりました。
そう考えるに至った理由はともかくとして、コメント欄を適宜整理する、あるいは承認制にするとした場合に難しいのが、「このコメントは承認すべきかせざるべきか」ということ。
WordPressの場合、「Akismet」という優秀なスパムフィルタがあるので、アダルトなサイトへのリンクを含んだような、明らかなスパムコメントについてはあまり神経を使うことはありません。自動的にスパム入りしてくれます。
問題は、ネタにマジレスとか「なんかこの人めんどい……」とか「論点ずれてるようなずれてないような……」みたいな、そういうビミョーなコメント。
おそらくそれらに対する一番良い対処法は、真面目にコメントを返し続けることなんだと思います。「ネタにマジレスかっこ悪い」とか「友達いないだろ」とか返信することで(実際にはもっとちゃんと書いてね)、同様のコメントが付けられることを事前に防ぐ効果が期待出来るかも。
ただ、この方法を取ると、コメント欄が議論の場になりがちです。議論したい人は良いのですが、icoroみたいにそもそも議論する気が無い人にとってはビミョー。
たまに面白くもないコメントに対してちゃんとコメント返している人を見ますが、ああいうのっていろんな意味ですごいなぁ、と思います。ただ、一読者の意見としては、そんな面白くもないコメントに対応している時間で、別の面白い記事を書いて欲しいとも思ったりするんですよね。
まあ、そのやりとりが面白いから読む、という人もいるでしょうし、その辺はやはり、ブログを書いている人自身がどういうコンセプトでブログを書いているのかによりますよね。
消したきゃ消して良いと思うよ
もしコメント欄の扱いに迷っている人がいたりなんかしたりしたら、承認制にするか、いっそ無くしちゃっても良いと思います。
コメント欄に「馬鹿」とか「氏ね」とか書かれていると、ブログを書いている人自身がなんかヘコんでモチベーションが保てなくなる、というのはもちろん、そのコメントのある記事を見た人も微妙な気持ちになってしまう可能性があります。
たとえば、ある記事を読んで「良いこと書いてるなぁ」と思ったのに、コメント欄に「そんなの常識w馬鹿じゃねーの」みたいな事が書かれていると、なんか嫌な気分になりませんか。
もしくは、記事読んで「あーこれ知ってるわ」と思ったところに、コメント欄に「そんなの常識w馬鹿じゃねーの」みたいな事が書かれていると「だよねー」と思ったりしませんか。下手したら「俺も知ってたわーw2年くらい前に流行ったよねーw」とか書き込んじゃったりして。
コメント欄がそういう循環に入っちゃうと、内容の善し悪しとは違うところでネガティブなコメントが連続しちゃったりして、記事全体の雰囲気がビミョーなものになったりします。さらにそれを放置していると、同じブログ内の他の記事にまでその空気が伝搬してしまったりすることも。
もちろんその逆のポジティブな循環もありえます。が、コメントというのは、反対意見を持っている人が書き込む事が多いです。記事を読んでその通りだと思った人はわざわざ「禿同」とかコメントしないので。(スーパーに掲示されているお客様の声もクレームばっかりだし。)
で、そういう悪循環に陥っちゃうのって、ブログ書いている人にとっても、読んでる人にとっても、なーんかやーな気分になるだけで、あんまりメリットがないと思うんですよね。
その悪循環を発生させないためにとれる簡単な方法は、そういうネガティブなコメントを消し去ってしまうことです。承認制にしておけば、他の閲覧者に知られることなく消し去ることが出来ます。
どうせ自分のブログなんですから、自分の好きなようにすれば良いんですよ。気に入らないコメントの100や200消し去ったところで、世界が激変するようなことはありません。それどころか、半年もすればコメントを書き込んだ本人でさえ、書き込んだことを忘れちゃってます。そんなもんです。
だから、コメントなんか適当にいなして、どんどん記事を書いて、どんどん良いものにしていって下さい。
コメントの承認作業でネガティブなコメントを見るのが辛い、精神的にやられる、という(icoroの中の人のような)人は、精神衛生を保つためにコメント自体受け付けないようにするのも手です。
記事の間違いなんかはTwitterで指摘してもらえたりするので、コメント欄がなくても別に困りません。たまに微妙な@が飛んでくることがありますが、あんまりひどい場合はそのアカウントをブロックしちゃえばOKです。こちらにはあちらから飛んでくる@が表示されなくなりますし、あちらは相変わらずこちらに対して気が済むまで@を飛ばすことが出来るので、Win-Winですね。
みんな、コメントにマジレスなんて求めてない
報ステを見ながら、古舘伊知郎のコメントに対してケチ付けるのを楽しみにしている人は少なくないと思います。これまで、そのつぶやきはテレビの前でつぶやかれ、ただ消えていくだけでした。しかし、今は、そのテレビの前でのつぶやきがネットの世界に流れ出し始めているような感じがします。
それにはいろいろ理由があると思いますが、要は、(良くも悪くも)インターネットがそれだけ広く普及してきているという事なんだと思います。
そして、古館のコメントに対するケチに対して、多く人がマジレスを期待していないのと同じように、ネットにあふれているコメントの多くも、ただ言いたいことを言っているだけで、それに対してのマジレスなんかほとんど求めてないんじゃないか、と思います。求めているものがあるとすれば、「同意」とか「共感」とか。
だから、コメントなんかいちいち気にすんな。(と自分に言ってみる。)
ついでに言うと、画面の向こう側にいるのは、自分と同じ、様々なものを抱えた1人の人間である、ということを忘れている人が多いようにも思います。
実際、うちも原発に関連して「馬鹿」とか「氏ね」とか「ねえねえ、どんな気持ち? ねえ、どんな気持ち?」みたいなのをメールやなんかで頂くこともあります(最近はだいぶ減りましたが)。たぶん言っている方は、テレビ番組にケチを付けるような気軽さで言っているのだと思うのですが、結構、ヘコめます。
言っている方は「実際にお前が消えてもまったく構わない」くらい思って言っているかもしれません。でも、テレビの前でつぶやくのと、ネット上で「つぶやく」のでは、相手に(場合によってはその周辺の人間にも)つぶやいた内容が伝わるか否か、という大きな違いがあります。それによってつまらない言い合いやトラブルに発展しちゃったり、ほんとに相手が追いつめられて死んじゃったりしても後味悪いですし、あんまり責任の取れないことは言わないほうがいいんじゃないかな、と思います。
それに、むこうにもこちらにも友達や家族がいるだろうし、もしかしたら人間関係が繋がっているかもしれない、と思うと、あんまりぶしつけなことも言えないよなぁって思うんですよね。
「そんなこと言ったら何も言えなくなる」という人もいるかも知れません。そう、何も言えなくなります。でも、それで良いんじゃないかと思います。面と向かうと、言おうと思っていたことが言えなくなっちゃうなんて事がありますけど、それは普通の事ですし、それで良いんじゃないかと思います。面と向かって言えない事なんて、きっと言わない方がいいんですよ。
あと、Twitterのつぶやきだけ見てて「なんだこの人」と思った人でも、実際会ってみると「なるほど、こういう人か」と納得出来たりすることもあります。
人のキャラクターは1つではなく、多面体で構成されているものです。そして、人が人にさらしている面なんて、そのうちのほんの一部でしかないと思います。そんなの当たり前なんですけど、当たり前のことって案外忘れがちです。
テレビなんかではある人の一面だけを取り上げてどーのこーの言っていることが多いですが、あれはいじってる方もいじられている方も自分の仕事をしているだけなので良いんです。たぶん。
という感じ
要は、あなたのブログはあなたのものなので、あなたの気が済むようにしたら良いよ、ってことです。他の人がなんと言おうと、承認制にしたければすればいいし、無くしてしまいたければ無くしてしまえば良いと思います。それで良い記事を心置きなくかけるようになるのであれば、それが一番です。
では、だらだらと長くなってしまったのでこの辺で。