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とある博物館の売店の営業は無事に終了しました。

長岡市寺泊で公開されている順動丸のシャフトを見てみた

 長岡市寺泊で展示されている順動丸のシャフトを見に行ってみました。坂本龍馬や勝海舟などを載せた船のシャフトがこんな身近な寺泊にあるとは。

順動丸のシャフト

 順動丸は文久2(1862)年に江戸幕府が英国から15万ドルで購入した蒸気外輪船、いわゆる「黒船」です。「龍馬伝」第18回「海軍を作ろう!」の冒頭にも登場しているように、坂本龍馬や勝海舟を載せた船でもあります。
 元々は幕府の輸送船として要人を運んだりしていたのですが、戊辰戦争下では武器や兵の輸送に利用されました。そして、慶応4(1868)年5月24日、寺泊沖で停泊していた順動丸は、不意に現れた薩摩藩の乾行丸と長州藩の丁卯丸の急襲を受け、寺泊の沖合で座礁しました。この時、乗組員は全員脱出。ですが、船を敵に利用されるのを防ぐため、その翌日、自爆しました。

 …という展示解説からの受け売り。
 順動丸が海軍操練所の設立に関係し、その海軍操練所で学んだ坂本龍馬が薩長を結びつけ、その薩長の船に順動丸が沈められるというのは、なんとも皮肉な話に思えます。

 ついでに、「龍馬伝」第18回の最後の方で岡田以蔵が勝海舟を斬りに部屋の前まで来たときに、勝と坂本が「上へ下への大騒ぎだ」だの「百万両?!」だの話していたのは、文久3年に徳川家茂が上洛したときのことと思われます。
 この時、家茂は順動丸に乗って上洛する予定でしたが、なぜか陸路での上洛に変更になり、22日もかけて陸路で上洛しました。が、帰りは順動丸に乗船し、わずか3日で江戸に帰ったそうです。これを「それは馬鹿げた話だにゃあ」と話していたわけですね。

さらに同年12月に上洛の際、勝の進言を容れて順動丸を使うことを決断した(その理由として前回の上洛において往路だった陸行では22日を要したのに対し、帰路順動丸を使った時にはわずか3日で江戸に帰れた事実がある。そのことが勝への信頼感へつながったとする説がある)。
幕府海軍

 さて、本題の順動丸のシャフト。

順動丸のシャフト

 現在、長岡市寺泊にある旧寺泊町役場荒町車庫で公開されています。場所は寺泊のアメ横のすぐ前なので、行けばすぐに分かると思います。

順動丸のシャフト

 これがその順動丸のシャフトです。このシャフトは自爆後に海から引き上げられたものだそうです。

順動丸のシャフト

 ぼろっぼろに錆びています。長い間、野ざらしで展示されていたために錆びたのか、引き上げた時点で既にぼろぼろに錆びていたのかは不明。たぶん、前者ではないかと思うのですが。

順動丸のシャフト

 シャフトの外輪部分には、貝が付いていた後が見られます。

順動丸のシャフト

 順動丸は幅約8.6m。展示されているシャフトは1本が4.3mなので、展示されている状態が実際に船の中にあったときの配置とほぼ同じと考えても良さそうです。(4.3m x 2 = 8.6mなので、ちょっと船の幅が足りない気がしますが、誤差範囲内?)
 てか、こんな鉄のかたまりを蒸気の力で動かすとか、産業革命すごいな。

順動丸のシャフト

 戊辰戦争を描いた絵図も展示されていました。
 左下には2隻の船の間で炎上する順動丸が描かれています。左上で赤く染まっているのが、炎上している長岡城。

順動丸のシャフト

 倉庫の隅には、なんだか分かりませんが、船旅で使われたようなアイテムが置いてありました。

順動丸のシャフト

 電灯も、雰囲気に合わせたのか、レトロ調。白熱電球も貴重になりつつありますね。

順動丸のシャフト

 というわけで、あなたも順動丸のさび付いたシャフトに、遠いようで近い幕末の海風を感じてみてはいかがでしょうか。こんなふうに鉄クズとして再利用されることなく、現在まで残っているパーツというのは貴重だそうなので、この機会に目にしておくと良いと思います。

順動丸の動輪シャフト特別展示

展示期間2010年4月29日-2011年1月末
※平成23(2011)年5月8日(日)まで延長
展示時間9:00-17:00
展示場所新潟県長岡市寺泊荒町 旧寺泊町役場荒町車庫
与板警察署寺泊交番(新潟県長岡市寺泊荒町9777)のそば
観覧料無料

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