卒業しない時代に仏像と向き合う
その昔、仏像というものは今よりも重要な意味合いがあったことは間違いありません。特に農業国新潟では、農業と信仰は深く結びついていました。
今では、農作物の豊作を願うのであれば、良い肥料をつかったり新しい育成方法を試したりするでしょう。神様仏様だけでほっておくわけではありません。
子供の成長を願うのであれば、よい学校に入れたり塾に行かせたりするのだろうし、病気を治したければ、良い医者を探すでしょう。神様仏様にお願いしていれば良しという時代ではありません。
仏像を美術品として鑑賞する、その造形を楽しむ。仏像それ自体、あるいはお寺に関わる人をアイドルのように扱う。そういった向きに「けしからん」という意見もあります。
しかし、価値観の多様化とともにお寺のあり方や、地域とお寺との関わり方も変わって来ています。
今の時代には、お寺や仏像を楽しんだりアイドル化したりして向かい合うスタイルというものが、合っているだけなのかもしれません。アプローチの仕方こそ違えど、不安が多い世の中だからお寺や仏像に縋りたくなるという面では、あまり本質は変わっていないような気もします。
また、卒業しない時代の生涯趣味として見た場合には、歴史や美術には心を豊かにしてくれるという効果があります。仏像のように地域に受け継がれているようなものの場合には、その仏像に興味を持つことが、その地域や人々の暮らしへの興味にも繋がります。
新潟県の小千谷市には、造形的にもとても素敵な妙高寺の愛染明王という仏像が居ます。
あまりにも素敵な仏像なので詳しく調べてみると、この仏像、どうやら元々は小千谷ではなく伊豆に居た仏像らしいのです。
なぜ、この仏像が小千谷に来ることになったのか。
小千谷はその昔、水運が発達していて非常に栄えていたそうです。また、水が豊富であるから染物業も盛んであったらしい。
愛染明王は、愛を司るキューピット的な意味合いだけでなく、”愛染”を”藍染”と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されている。それが、この仏像が伊豆からはるばる小千谷に来たことと関係があるのだろうか。
そういったところに目が向き始めると、仏像鑑賞という本当に一生かけて楽しめる素晴らしい趣味を手に入れたのだと思い、嬉しくなることがあります。
みなさんもお時間があるときにでも、子供のころに遊び場にしていたお寺に足を運んでみてください。
そこには、子供のころに見ていたお寺とは、また少し違ったお寺の風景があるかもしれません。
この支配からの卒業
さて、テーマは卒業です。
卒業といえば、DTからの卒業というものも人生の中においての重要なテーマで、
「こーの支配か、ら、のっ。卒業ぉー!」
と歌いながら、エロ本を買ったりAVを視たりしていた日々が思い出されます。
卒業しない時代。
かのみうらじゅん氏は、伊集院光との共著 DT にて「童貞時代が長かったやつほど、想像力豊かな人間になれるんだ!」と述べています。
想像力が足りないと人生に深みが出て来ませんし、話にも広がりが出てきませんからね。
私ももっと想像力を膨らませて、股間も膨らませようと思います。