去年の夏の時点で、一昨年の大掃除がまだ始まってもいなかったということもあり、昨年は11月から計画的に掃除を始めました。毎朝、早起きして10分だけの掃除を毎日続ける。1日たった10分だけの掃除なのですが、逆にその10分だけという限定感が「あ、もうちょっと綺麗にしたい」と翌日へのモチベーションを高め、部屋はみるみると綺麗になっていきました。
年が明けた今も、掃除は終わっていません。
掃除をしていると、部屋の至る所から沢山の携帯電話が発掘されました。もはや電話をかけるのとのできない携帯電話の山を見ていると、ふとこれらの携帯電話がなかった時代のことを思い出してしまいます。携帯電話があれば繋がりたい相手にダイレクトに連絡をとれる昨今ですが、これがなかった時代はお目当ての相手に電話するにも、今とは違ったドキドキがあったものです。
年頃の男の前に立ちはだかるお父さんの壁。
あれは私がまだ高校生だったころ。当時気になっていた娘さんのところに電話をかけたことがありました。携帯電話なんぞは勿論ない時代ですから、家の電話、いわゆるイエデンに電話をかけたのです。
チリリリン...チリリリリン...擬音がとにかく古いですが、この待ち時間はかなりドキドキします。夕方4時の出来事。
ガチャッ…と音がなり、電話口に出たのは声から察するに明らかにオッサン。いや、お父様。夕方の4時にお父さんがでるというまさかのフェイントにシドロモドロになりながらも、娘さんに替わってほしい旨を伝えると、電話口の向こうからは冷酷な声でこう返ってきました。
「娘は受験のために時間をずらして勉強していますから、もう寝てます。娘は寝ています。」
正気ですか。
お父さん、いくら僕がボンクラ学校の生徒だからって、お嬢さんをそんなに早く寝かしつけることはないんじゃないですか。(寝てると信じてる)
電話をかける前に感じたドキドキはいつの間にか行き場のないイライラに変わり、そして私は電話ボックスの中で途方に暮れるのでした。
仏像に会うための方法
ひとことで「仏像に会う」と言っても、仁王さんのようにお寺に行けば比較的簡単に会うことのできるものや、数年あるいは何十年に一度しか会うチャンスのないものなど、いくつかのパターンがあります。ここでは少しそのパターンをみていきましょう。
行けばすぐに会える仁王など
仁王さんや路傍のお地蔵さんなどは、基本的に屋外に祀られているということもあり、その場所に行けば大抵の場合はすぐに会うことができます。特別の許可などもいらない場合が殆どなので、仏像に興味を持ち始めたばかりの人は仁王巡りがオススメです。
拝観料を払えば会える仏像
観光名所となっているようなお寺に多いパターンです。越後のミケランジェロ『石川雲蝶』が手がけた彫刻や仁王像などを見ることができる、西福寺・開山堂などがこれに当てはまります。このパターンのお寺は、観光地としてもシステムが確立されていますので、案内に従って拝観料を払えば安心してお参りすることができます。
また、拝観料ではなく入館料になりますが、仏像が博物館や美術館に展示されている場合もあります。柏崎市立博物館では数体の木喰仏が常設展示されていますし、同じく柏崎の木村茶道美術館でも、常設ではありませんが木喰仏が展示される場合があります。
滅多に会えない秘仏
仏像の中には秘仏として普段は会うことはできず、特定の日のみお参りが可能となっているものがあります。特定の日といっても、小千谷市妙高寺の愛染明王のように毎月1度だけ開帳するものや、6年ごとの兎年・酉年だけ開帳される新発田市菅谷不動尊の不動明王、12年に一度寅年だけ開帳される長岡市寛益寺の薬師如来などのように、その周期は様々。下世話な言い方をすればレア度が高く、仏像好きとしてはある意味、ご開帳は楽しみなイベントのひとつです。
展覧会
美術館や博物館などで、企画展として仏像の展覧会がおこなわれる場合があります。2010年に長岡市の近代美術館で開催された「奈良の古寺と仏像 新潟展」は記憶に新しいところですね。
ちなみにですが、博物館などに常設展示されている仏像は歴史遺産、美術的価値のみが認められているものであって、礼拝対象としての扱いとはされていないがために仏様に魂は入っていないのだそうです。それに対して、展覧会などに仏像が出展される場合には、普段お寺の中で祀られている仏像を一般公開する”出開帳(でかいちょう)”として考えられる場合が多く、この場合の仏様には魂が入っているそうです。(厳密にはお寺で一度魂を抜かれた状態で博物館に運ばれ、博物館に展示される前に、再度魂が入れられます。)こういったこともわかってくると、ますます仏像を観るのが楽しくなってきますね。
拝観のアポ取りが必要な仏像
本や観光情報などのWebサイトで仏像を見ていると『見学の際は事前に連絡が必要』、あるいはもっと簡単に『要事前連絡』と書かれているお寺があります。こういったお寺の場合には、お寺や市役所に電話をして拝観のお願いをしなければいけません。
拝観のアポ取りって
京都や奈良のお寺は、仏教的施設でありつつも観光名所としての地位もきちんと築かれていますので、万人に向けてわかりやすく拝観のシステムが整備されているのですが、新潟や地方のお寺は基本的には観光地として機能していません。したがって、気になる仏像を見つけたら必然的に拝観のアポ取り電話をかける必要がでてきます。
これが気になるあの娘の家に電話するみたいで、結構ドキドキする。
「寝てます。」と言われたらどうしよう。
そんなシチュエーション的なドキドキ感もあるのですが、真面目に考えだすと「仏像を観せてください」というふうにお願いしてもいいのだろうかというところで意外と悩んでしまうところでもあります。実際、私も友人から「どうやってお願いすればいいの?」と聞かれたりすることも多いです。
私は足りない頭で何度も悩みながら電話をかけて、次のような形に落ち着きました。
- 自分の住んでいる場所と名前を告げる
- 観せてもらいたい仏像の名を告げ、お願いすればお参りできるのか聞く
- 伺う予定の日時を告げ、お寺さんのご都合を聞く
セリフとしては「仏像に興味があるんですが、ご本尊の○○○さんはお願いすればお参りさせてもらえますでしょうか?」といった具合で概ね問題無いと思います。
町内会の行事があったり、お孫さんの運動会にかぶったりと断られてしまうことも多いので、旅行などに合わせて拝観を考えている場合は、早めにお寺さんの都合を確認しておいたほうがよいと思います。
志納どうする
あとは約束の日にお寺に伺って、お願いをしてお参りさせていただくことになります。お寺によって仏像についての説明をしていただけることもあれば、「勝手に見ていっていいよ」といわれる場合もあります。
事前連絡が必要なお寺の場合、観光情報サイトなどでは拝観料のところに『志納(しのう)』と書かれていることがあります。拝観料は決まっていないのですが、お寺さんにわざわざ時間をとっていただくのですから、御礼のお金を納めたほうがいいでしょう。
で、その金額なのですが、これも結構悩みます。結論から言うと、私の場合は500円くらいを写真のような封筒に入れ「志納」と筆ペンで書いて仏前に置いてくることにしています。財布がピンチの場合、300円くらいにするときもあります。
何人かの知人にも聞いたのですが、「年配の方は封筒に1000円札を最低ラインと考えている人が多い」との意見や、若い方でも2000円くらい納めているという人もいます。私は、拝観料をとっているお寺の拝観料がだいたい300円から500円というところと、金額が少ないイコール礼儀知らずみたいな考え方は、仏様の考えかたとは違うんでないかなーということから、だいたいこのような感じにしています。
私としてはお金の多少よりも、もっと自分達の住んでいる地域の歴史や文化財に興味を持って、それを次の世代に繋げていけるように伝えていくことが大事なんではないかと思っています。
今回の記事が、みなさんとにい”がた”の”ぶつ”ぞう「ガタブツ」との新しい出会いの参考になれば幸いです。