朝(というか昼)起きたらスティーブ・ジョブズの訃報がニュースになっていました。最近の、まるでガンジーのようにやせ細ったジョブズを見ていたので、驚きよりも「あー、来るときが来たか」という思いです。
そんなわけで、ちょろっと書きたいと思います。

実は、「現在のicoroがあるのはジョブズがいたから」と言っても過言ではありません。
中学の頃、「新・電子立国」というNHKスペシャルで出てきたスティーブ・ジョブズの言葉に激しく(というほどではありませんがそれなりに)感銘を受けました。
曰く、
失敗してもいいじゃないか。会社をつくるというのは一世一代のことなんだ。人生で一度、会社をもったことがあるということだけで、それは人に誇れることなんだ。
これを聞いてすぐに「会社を興そう!」と思ったわけではないですが、この言葉はいつも心のどこかにありました。
世の中が Windows95 の登場で混乱していた頃、自分が最初に手に入れたパソコンはPerforma6310、つまりMacでした。
なぜMacだったのか。マイナーな方に肩入れしたくなるあまのじゃくな性格によるところが多分にあったことは否定しませんが、雑誌(たしかDIMEだったと思う)にあったMacの特集を読んでMacの思想に感銘を受けたというのもあります。
Windows95なんてMacintosh84だよ。
しかし、当時のジョブズなきAppleは、今思えば迷走していました。夢の次世代OS「コープランド」は一向に現れる気配がありませんでした。Mac互換機なんてものもありました。Twentieth Anniversary Macintoshもあったねー。デザイン的にはカラクラの方がイケてると思うけれども。
平たく言うと、まあ、このまま一部の熱狂的なファンの支持を受けて細く続いていくか、あるいはフェードアウトしてくか、という感じだったわけです。
そんな中でのジョブズの帰還は、救世主の登場のようでもあり、今さらという思いもあり、でもやっぱり期待しちゃうじゃないかこのやろー。という感じでした。
ジョブズが帰還してから後のAppleについては御存知の通りです。世の中のあらゆるものがトランスルーセント(スケルトン)になったり、名前の頭に「i」がついたり……
iPodが発表されたときは「今さら……」と思ったし、雑誌でも「今さらMP3プレイヤー?」という意見が見られたものですが、今現在、「iPod」という名前は携帯音楽プレイヤーの代名詞となっています。(かつての「ウォークマン」のように。)
この間、テレビでしてたスマートフォンの特集を見ていたら「iPhoneがスマホの原点だ」みたいなことを言っていてちょっと笑っちゃいました。
icoroを「アイコロ」と読む人が多いのもきっとジョブズの影響。(ちなみに「icoro」という名前は「イコロ」という音にアルファベット充てたらたまたま「i」が先頭になっただけで、Appleのとは関係ないよ! ホントだよ!)
とにかく、ジョブズがAppleに帰ってきてからの10年ちょいは、とてもエキサイティングな10年ちょいでした。ジョブズの基調講演は変な映画を見るよりもドラマチックで面白かった。
あのiPhoneの発表をリアルタイムで見ることが出来たことは後生にちょっと自慢出来ることなんじゃないかと思ったりします。それはちょうど、ビートルズの日本公演の様子をちょっと誇らしげに語るおっさんのような。
一方で、ジョブズの新たな基調講演をもう見ることが出来ないという事実は、自分をちょっと寂しい気持ちにします。仕方のないことだけれども。
だらだら書きましたが、つまり、ジョブズの言葉は、アジアの極東の島国の地方都市の、過疎った地域に住む自分のような人間にも影響を与えた、というお話でした。
ありがとう、Jobs。R. I. P.