どうも!「新潟日報」を愛読しているicoroの関根です。新潟日報1面に載っている「日報抄」というコラムは欠かさず読んでいるのですが、時々、あれ?とか、えぇっ?と思うこともあるわけで。平成23年(2011年)2月25日(金)朝刊のものはちょっとつっこんでおきたかったので書いてみました。
この日の日報抄の内容は、日報抄筆者の友人の父がなくなり、声をかけられなかったこと。それにあわせて中越地震での筆者のエピソードが書かれています。
状況は異なるが、中越地震の避難所である団体の炊き出しの取材をしたときだ。被災した女性に食事を尋ねた。「毎日『おいしい』って言わなくちゃいけないんですか。もうたくさん」と言われ、言葉に詰まった新潟日報社 netpark
▼被災者の疲労もピークに達し、詳しい事情を知らない外の人間の“善意”が負担になっていたのに気付いた。一番つらい思いをしている人たちの気持ちが誰にも届いていなかったのだ
なんか、エピソードと「善意の負担」と言う部分のつなげ方に違和感が。女性の言葉が誰に向けられたものなのか、そのとらえ方が違う気がするのです。
この文面からすると、どうも筆者は、その言葉が炊き出しをしている団体に向けられた言葉だととらえているようです。仮にそうだったとすると。
ケース1:炊き出し団体へ向けての言葉だった場合
被災した女性の言葉が、炊き出しをしている団体(以下、団体)に対して発せられたものだったとすると、
「(炊き出しをしている団体に対して)毎日『おいしい』って言わなくちゃいけないんですか。もうたくさん」
となると考えられます。
そう考えると団体が炊き出しを渡す度に「どうですか?」「ねぇおいしいですか?」と聞いているということになります。しかしこのような状況はあんまり考えられないわけで。
ケース2:取材者へ向けての言葉だった場合
そうなると女性は取材者に対して言ったのではないかと思うのです。つまり、
「(取材者に対して)毎日『おいしい』って言わなくちゃいけないんですか。もうたくさん」
なのではないかと。
状況はわからないので憶測になってしまいますが「毎日(マスコミに聞かれる度に)『おいしい』って言わなくちゃいけないんですか。もうたくさん」っていうことだったのではないかと思うのです。
自分は女性の言葉を読んでそう受け取ったのですが、筆者はそうは思っていない様子。なのでエピソードと「善意の負担」と言う部分のつなげ方に違和感を覚えたのだと思います。
まとめ
というわけで、被災した女性の言葉は団体ではなく、取材者へ向けられた言葉だったのではないでしょうか。筆者は団体へ向けた言葉だと思っている様子ですが、実際には筆者本人に向けられた言葉だと考えられます。それを「(団体の)善意が負担になっていた」で結ぶのは違うのではないかと思うのです。
何が言いたいのかというと「いやいやいや、女性は貴方に向かって言ってるんですよ?」ってことです。それを団体に向けた言葉と解釈し、善意の負担に結びつけるのは間違っているのではないかと。そこに根本的なズレを感じたわけで。
なお、引用は一部分のみです。部分的に抜き出すと筆者の意図していない文面になることは多々あるので、是非全文をお読みください。新潟日報のウェブサイトで過去10日間のものは読むことができます。
新潟日報の読者投書欄「窓」にも意見が寄せられるのではないかと思う本日の日報抄。同じように感じる人も少なくないのではと思いますが、どうでしょう。
という感じでicoroはいつも新潟日報を読み込んでおりますよ。1面のトップ記事は読まなくても日報抄は読んでるくらいですから!