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新潟県燕市にある「米納津隕石落下地」に行ってみた

 新潟県燕市(旧吉田町)にある「米納津隕石落下地記念碑」を見に行ってきました。「米納津」は「よのうづ」と読みます。上げ損ねていた記事ですが、本日の隕石の話題に便乗しました、ハイ。

米納津隕石落下地

 天保8年、轟音がして空から火の玉が落ちてきたがじゃ。(弥太郎ボイス。)

 「米納津隕石落下地記念碑」の存在を知ったのは今から10年ほど前。友人とドライブ中、116号線で「米納津隕石落下地」の看板を発見。看板に従いその方向に行ってみたものの発見できず。。その友人は今や2児の母。それに比べ私はクッソクッソ。

 そして時は流れて2009年。そういえば燕に隕石落下地があってだね何ソレ面白そう!とicoroに進化した私は岡本と共に向かい、ついに発見に至ったのであります。
 いやー、これは見つけにくい。。しかしこんなに貴重なものです。これはみんなに紹介せねば!と意気込んでいたものの、すっかり記事にし損ねておりました。(写真もあんまりだったしー。)

 そしてついにこの時が訪れた!2011年秋!もう一回行ってきました!そしたらなんだか本日は隕石騒動。乗るしかない、このビッグウェーブに。

米納津隕石落下地

 国道116号線にしれっとある看板。10年前のあの日も心躍らせたもんじゃ。だが、たどり着ける者は少なくてのぅ。ワシの言うとおりに進むのじゃぞ。

米納津隕石落下地

 「米納津隕石落下地点」へ行くときは、国道116号線「吉田東町」という交差点を東方向に進みます。(もう長老キャラやめた。)

米納津隕石落下地

 しばらく道なりに進むと視界が開け、広大な田んぼの中を走る一本道に出ます。

 そしたらとにかく右手を見て!あとは目視あるのみ!!

米納津隕石落下地

 ゴミ焼却場の手前にある、石碑的なものがおわかり頂けるだろうか。白い杭が目印である。

米納津隕石落下地

 発見できなかった場合は「吉田鴻巣 新保」と書かかれた看板が立っている所を右折(南へ)。これで「県営農免道路吉栄線」に入ります。ここからもう迷いません。

米納津隕石落下地

 ハイ来たー。

米納津隕石落下地

 燕市文化財の米納津隕石落下地記念碑。ご覧の通り、田んぼの真ん中にあります。

米納津隕石落下地

 よ・・・燕市教育委員会。

米納津隕石落下地

 今回は残念なことに鳥の糞が、、、たぶん、米を食べに来た鳥たちの休憩場所になっているためだと思われます。自然に溶け込んでますね。

米納津隕石落下地

 稲刈りの終わった田んぼに鎮座する隕石。と言いたいのですが、これはレプリカです。実際に落ちてきた隕石は、現在は「国立科学博物館」に展示されています。

 「米納津隕石」については「富山市科学博物館」のサイトに詳しく掲載されているので(なぜか富山、がんばれ新潟)、今回はそちらを引用しつつ、紹介していきたいと思います。

米納津隕石と落下記念碑(新潟県西蒲原郡吉田町富永:東京都台東区国立科学博物館)
 米納津隕石は現在、わが国に落下した石質隕石では2番目に大きなもので、重さは 31.65㎏、東京の国立科学博物館に保存されている。この隕石が落下したのは天保8年(1837)6月11日(旧暦、12日の説もあるが11日が正しいようだ)夕七ツ時ころ、百雷の轟くがごとき音響とともに南西の方から飛来落下した。落下地近くの田の中で草取りをしていた人の中には、音のあまりのすさまじさに気絶した人もいた。
 その後、庄屋の田辺家に保存されていたが、オコリ(マラリア?)の薬によいなどといわれ、削って飲む人もおり、明治の初め頃にはこの隕石のことを歌った石口説(いしくどき)という歌まであったという。明治32年(1899)1月、東京の帝室博物館(国立科学博物館の前身)に出品され現在に至っている。
新潟県の隕石関係資料
米納津隕石落下地

 人物との比較。落下地点の記念碑は、田んぼの中にせり出すように建てられています。

米納津隕石落下地

 台座に刻まれた文字。「米納津隕石の碑 西暦一八三七年七月十四日 午後四時西方よりこの地に落つ」富山市科学博物館の方とは日時が異なっている模様。何分昔のことですし、旧暦とかもあるのでいろいろな説があるのだと思います。

米納津隕石落下地

 「落下地点 北緯 37度41分16秒 東経138度53分57秒」

米納津隕石落下地

 「実物大の模型を作りこれを記念す 一九六二年十一月」

昭和37年(1962)11月10日、地元のアマチュア天文家草野磐氏の寄付により、米納津隕石落下記念碑が建立され除幕式が行われた。この記念碑は、碑の上に米納津隕石の模型を置いたユニークなもので、台座には落下地はここから30mと矢印で表示されている。
新潟県の隕石関係資料
米納津隕石落下地

 「寄贈者 草野 磐」

米納津隕石落下地

 「落下地点は矢印の方向三十メートル」

 寄贈者の名前と矢印は新しく掘られた感じがします。前回行ったときはなかったような。もしかしたら気付かなかっただけかもしれません。

米納津隕石落下地

 レプリカにも削った後が。模型を作る際に削った跡だとは思うのですが、もしかしたら当時の言い伝えを信じて削って持ち帰った人がいるのかも。とか思ったり。

米納津隕石落下地

 記念碑後方。「富山市科学博物館」のサイトには

落下地は記念碑の後方にあたり、コンクリートパイルで標示してある。
新潟県の隕石関係資料

 とあるのですが、過去2回行って発見できず。場所がわかる方がいましたら是非教えて下さい。

見に行く際の注意点

米納津隕石落下地

 写真は1回目に行った時のもの。田植え後の時期に行ってきました。

 落下地の碑は田んぼの中にあります。農免道路を通行する際は農耕車優先で、そして田植えや稲刈り真っ最中の時期は避けた方が良いと思います。

米納津隕石落下地

 越後平野を見守る隕石。

 ちょっと珍しい碑ですし、ここに隕石が落ちたんだと考えると宇宙への夢が広がります。「国立科学博物館」に行かれた際は、米納津隕石をお見逃しなく。

 そして新潟県内では上越市にも隕石が落ちています。落下地点は整備され、公園になっているそうです。

櫛池の隕石は(新潟県指定)は大正9年、遠い宇宙から上中条の水田に落下しまし た。現在、その落下地点

周辺は公園として整備され、皆様の憩いの場になっています。

隕石が落下した地点にはモニュメントが設置され、落下個所も復元されています。

重さ4.42kg、直径18cmという全国でも有数の大きさの隕石が秘めていたパワーと魅力を直接感じてみて

ください。隕石は星のふるさと館に展 示されています。
プラネタリウムと隕石を見よう|上越市清里区|清里商工会

 こちらも行ってみたい。いざ、新潟隕石巡りの旅へ!

追記

 その後、実物を見る機会に恵まれました!

米納津隕石落下地記念碑

所在地新潟県燕市米納津地内

参考サイト

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