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関原周辺の史跡等

 午前中は資料整理。午後から通称「イヨベ・リスト」にある場所をチェックに行きました。「イヨベ・リスト」には長岡西部の観光資源がまとめられているのですが、地図はないので、分かるところから。これはこれでおもしろい。

 まず、関原の願興寺。ここの経蔵は国の文化財らしいです。明治40年の土蔵作りで、形が六角形。

 経蔵は下半分がトタン張りになっていたのですが、アレは漆喰の保護のためなのか最初からああいうデザインなのか。たぶん、保護のためとは思うのですが。しかし、関原にあんなでかい寺があること、始めて知りました。

 次は願興寺近くにある石動神社と三埜輪稲荷神社。
 石動神社も国の文化財。あまりそうは思えないくらい、普通に建っていましたが。向拝柱(こうはいばしら)に根曲材が使われているということなのですが、根曲材がよく分からないのでピンとこず。

 三埜輪稲荷神社は石動神社の近くにあります。この神社の創建に関しては、「兵助狐」という狐にまつわる伝説が残っています。連なる赤い鳥居が稲荷社っぽいです。

境内に隣接して三埜輪遺跡というものが発見されたらしいのですが、それらしい跡は見受けられませんでした。

 このあとまた別の用事があったので、今日は3件回って下調べ終了。今日回った3件の周りは、いずれも住宅地の開発が進んでいて、自分の使ってる10年近く前の地図とは道がだいぶ変わってました。
 でも、それだけ宅地開発が進んでいても、社の周りは不自然なくらい緑が残ってるあたり、神道が日本人の意識に深くすり込まれてるのかなぁ、という感じです。

 そういえば、ゴミのポイ捨てを防ぐアイテムとして、鳥居の形をした看板(?)というものがあるようです。これが効果覿面のようで。日本人の潜在的な意識が、ここにポイ捨てしたら不味いことになりそうだ、と思わせるんでしょうねぇ。

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