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さまよえる湖と消えていく商店街について

Date 2012/10/13 18:05  Modified date 2013/05/07 Author Yutaka  Tags イオン 原信 新潟生活

 昔、国語の教科書に「さまよえる湖」という作品が載っていました。どんな文章だったかは良く思い出せませんが、要は、湖が移動して水が手に入らなくなったことで楼蘭は衰退していった、と言うような内容だったと思います。湖が移動するというダイナミックな説と、水がなくなったから町もなくなったという単純な理屈は、「なるほど」と思わせるものがありました。
 ちなみに、さまよえる湖「ロプノール」は、現在では「別に移動なんかしていない」ということになってるみたいです。

 さて、では、現代の日本で衰退が起こるとしたら、何が原因で起こるのでしょうか。シャッター街化は一段落して、今度は空き地化が進んでいる町の風景。人か、仕事か、金か。

 「地元でお金を使え」と言うことを言う人もいます。町のイベントなんかで買い出しするときは、地元の店を使わないと文句を言われると言う話もたまに聞きます。
 まあその意見には一理あるかもしれないと思っていたのですが、最近、それはやっぱり間違っている、と思い始めました。
 年に何回かの町内イベントで一時的に地元の店が潤うことがあっても、それだけです。もっと言えば、そういうお金の使い方は地元商店街をスポイルすることに繋がるんじゃないかと思います。

 日常的な買い物は、例えばこの辺ならば、長岡の原信やらウオロクやらリバセンやらムサシやらで済ましちゃいます。長岡のイオンは、リバセンが出来て以来、ちょっと残念な子になっていますが、それでもこの辺の商店街よりはずっとマシだと思います。
 なぜそうなるのか。簡単です。商店街で買い物をするだけの魅力がないからです。魅力とはなんなのか。よくわかりませんが、ただ、地元の商店街よりはリバセンのほうが魅力的だ、イオンの方がまだマシだ、と言うことは分かります。

人口減少なんか関係ない

 そもそも人口が減っていて、客の数自体が減っているというのもあるかもしれません。
 じゃあ実際、人口がどの程度減ってるのか調べてみました。すると、意外なことに日本の総人口は平成22(2010)年現在で1億2,805万人となっており、これは1920年から過去5年ごとに行われている調査(たぶん国勢調査)の中では最大の数だったりします。たしかに14際以下の子供の数は減っていますが、人口的にはまだマイナスにはなっていないのです。
 じゃあ新潟県はと言うと、多少の増減はあるものの、昭和20(1945)年から平成22(2010)年まで、ずーっと240万人前後で推移しています。こちらも特別大きく減ったと言うことはありません。

 なんとまあ。そうであれば、この町の荒廃は人口減少のせいばかりではない、というか、人口減少なんか関係ないと考えられます。だって、人口は変わってないんだから。

買い物はいつもリバセン

 ちょっと前に新潟日報かなんかで、昭和30年だか40年だかの、文字通り芋洗い状態になっている年末の長岡駅前の写真を見ました。その写真と一緒に現在の閑散とした同じ場所の写真が出ていました。こうして見比べると、「今は人が減ったんだなぁ」「景気悪いんだなぁ」「あの当時は貧しかったけど活気があったなぁ」なんて思ってしまうわけです。その当時はまだ生まれてもない自分でさえ。

 しかしそれは日報によるミスリードです(別にそういう意図で写真を載せたわけではないと思いますれけども)。

 人口はあの当時も今も変わっていないのです。それに、よくよく考えてみれば、当時は今みたいに郊外型の大型ショッピングセンターは存在していなかったはずです。交通手段も限られています。そうであれば、人が駅前に集中するのは当たり前です。駅前以外に選択肢がないというか。
 今は、郊外に何店舗も大型店が存在します。みんな車にも乗ります。その結果、人の流れが駅前から外側に分散しただけなのではないでしょうか。逆にもし、分散している人間を全部駅前に集中させることが出来たら、当時と同等、もしくはそれ以上の芋洗い状態になるのではないでしょうか。調べたわけじゃありませんが、たぶん、年末に動いている金額も当時をはるかに超えているはずです。

 つまり、現在は日常だろうが年末だろうが、買い物はいつもリバセンってことなんですね。
 サザエさんを見ていると、日常の買い物は近所の八百屋さんに、特別な買い物はよそ行きを着て町のデパートに、というライフスタイルであることが分かります。長岡駅前が芋洗い状態だった時代はそうだったんだと思います。それが今は、日常の買い物も特別な買い物も、全部同じ店で済ませるようになっているということですね。

 たぶん、それには車の普及が大きく関わっているように思います。
 都会はどうか知りませんが、田舎なこの辺では一人一台車を所有しているのが割と普通です。当然、買い物に出るときも車を使います。重い荷物をもって歩かなくて良いですから。
 また、車だったら、近所の商店街に行くのも、郊外のショッピングセンターに行くのも、感覚的にはあんまり変わりがありません。だったら、品物が揃っているショッピングセンターに行った方が良い、と考えるのが普通です。それに、大型店は広くて無料の駐車場も完備されているので非常に行きやすいです。

楼蘭の如く

 そんなわけで、多くの人は、よほどの何かがなければ、近所の商店街なんて行かないわけです。「よほどの何か」とは大型店が提供しているサービスや商品以上の何かです。具体的にそれがなんなのか、ということは自分には分かりません。ただ、とりあえず言えることは、自分を含む多くの人が「商店街ダセぇ」という印象を持っており、その印象を払拭しない限り、商店街に人が流れてくることはない、ということです。
 「ダセぇ」商店街は人の流れを失い続け、水を失った楼蘭の如く、静かに消えていくのが道理だと思います。

 ところで、もし自分が車を運転出来なくなったらどうしたら良いのか、考えたことはありますか。これについてはまたそのうち。

参考

さまよえる湖

  • 著者/訳者:スウェン ヘディン
  • 出版社:白水社 ( 2005-10 )
  • 単行本:317 ページ
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